自己満足読書感想文
〜「地球の歩き方」の歩き方〜

これまで海外には仕事で行かせて貰うことがほとんどで、プライベートで行った所に関してもあわよくば記事を売って仕事にしようと考えている姑息な人間であるので、「地球の歩き方」は毎回資料として買っています。

ネットで何でも調べられる時代ですが、定期的に改訂版を出して信頼度が高いように感じますし、細かい情報量が多い分、あまり偏りなくその場所の基礎知識を得られるので重宝してるんです。

また海外行こうとしていることもあり、なんとなくそのWebを見てたらライター募集って出てたので出来心で応募したんですよ。それが一昨日。

そして昨日。図書館へ行ったら、偶然『「地球の歩き方」の歩き方』という創刊30周年記念で出版された書籍を見つけたので読んでみました。

このタイミングでこんな駄文を書くのも憚られますが、感銘を受けたので備忘録的に思ったことを少々。。。

*     *     *

内容としては、関係者にインタビューして作られた”国民的海外旅行ガイドブックがどうやって生まれて今に至ったか?” というお話。

1970年代、就職ガイドブックを得意としていた版元のダイヤモンド・ビッグ社が、就職が決まった大学生向けに海外研修旅行のコーディネートをしていたそう。
そして、後に同誌の発行人となる安松さんという方が、自由旅行(それまで海外といえば旅行会社がアテンドする団体旅行だった時代、行きと帰り数日の宿と飛行機だけ手配するから、その間1ヶ月以上は自分の力で個人旅行して。というスタイル)を提案。情報も少ないなか、海外を旅する楽しさを社会に出る前の学生に体験してもらいたいという思いがあったそうです。

そして、その自由旅行に参加した若者の意見や情報も反映して作った、自由旅行用のガイドブック。これを市販化したのが「地球の歩き方」でした。

円安で若者が海外旅行をしようとしたら貧乏旅行をするしかなかった時代。お金を掛けず、そのように工夫して異国を楽しむか。そんな情報が載った本。

その時代のものを読んだことがありませんが、”読み手でもあり、書き手ででもある旅行者と一緒に作っていく、年々よくなる本”だったとか。

僕は同人誌やミニコミみたいな、雑誌としては不完全だけど情熱を感じるものが好きなクチなので、当時のものを読んでみたい気もします。

さて、端折りますが、79年にアメリカ編、ヨーロッパ編を創刊した後、様々なエリアを紹介するようになり、10年ほどで世界中のガイドブックを作り、日本一の海外旅行ガイドになった「地球の歩き方」。だけど、バブルになり海外個人旅行の需要が増え、折しもバックパッカーの為のチープな情報は求められなくなってきた。

それで、それまで海外をより深く、工夫して楽しむための情報を発信していた誌面から、読者を広げたフラットな情報を載せる必要が出て来た。しかし、それまでの読者から非難を受けたり、情報が細かすぎるあまり過保護なガイドブックだと言われた時代もあり……。
って感想じゃなくてあらすじで終わっちゃうから以降割愛。
何やかんやで国民的ガイドブックとして今も親しまれているわけです。

*     *     *

とにかく、今年で40周年になる「地球の歩き方」の歴史にはこんな苦労と想いがあったんだなぁと胸がじんわりしました。

”私たちが作るガイドブックはジャーナルでないとつまらない。と感じました。ジャーナルとは、「時代と共にある」ということです。永久保存される情報よりも、読み捨てられる情報を大切にしたい。〜中略〜 時代を強く反映した作りにしたい”
とは安松さんの言葉です。僕ももの書きの端くれの端くれですが、読み捨てられる情報を大切にしたいとは、なかなか言えるもんじゃありません。媒体が書籍じゃなくて毎年更新するものだったり雑誌だったら当然のことなのですが、せっかく取材して書くんだから未練がでます。

結局人気になって来たり、時代の流れによって創刊当時のやり方ではうまくいかなくなってしまうのですが、そこの苦悩も含めて、この手の立ち上げ話は本当に面白い。

以前、「フライの雑誌」を創刊した中沢考さんの追悼する書籍を読んだ時も思ったのですが、打算なく人の為になる情報を発信するということは意義深く、そういうパワーを持って作られた本だからこそ支持されるんだなぁとも思います。もちろん時代もありますが。

結局何を言いたいかわからない散文になってしまいましたが、誰でも発信できる時代に、マスメディアという限られたフィールドで飯を食って行くひとりとして、何か面白い気づきを提供できれば良いなぁ。未熟者ながら何ができるのかなぁと思ったのでした。

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